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2011年10月23日 (日)

ジャーナリストと作家の違いについて

何でグリコ森永事件みたいな分野外のもんに手をつけたのかのう。過信があったとしか思えん。当時は今より個人情報等を含めた情報統制もなく、取材しやすかったはずじゃ。反面、当局は失敗ばかりしておったが、今より捜査能力は格段に落ちる。そして時間の壁じゃ。いくら腕利きでも無理がござる。分野外の凶悪事件じゃからな。誰しも楽をしたくなることはござる。しかし、フィクションの作家とノンフィクションのジャーナリストは水と油。後世に真実に近い話を史実として残す仕事がジャーナリストであり、それをネタに娯楽に仕立て上げるのが作家。どちらかと言えば経済的にも厳しいし、真実を追求し続けなければならず、その困難から逃げられない前者が立場は上。書いたことを「嘘ですから」と逃げることもできん。

今回、もっとも痛いのは、仮名にした犯人コメントが、相手のプライバシーを守るためでなく、出版社やライター側の都合で使用された点じゃ。腰が引けた出版社やライターに対して、実名で訴えてきている。それも媒体が発売日と効果を熟慮した絶妙。週刊Aに週刊B。さらに週刊Pもな。

腰が引けるなら初めから書くべきではない。経済的にも厳しいし、事実の追求への逃げ道がないだけ大変だし偉いのは史実を追求する者じゃ。が、嘘を書いた途端、痛手も大きい。今までの実績もフィルターを掛ける必要があるからじゃ。

嘘を本文としてきたもの。事実を本文としてきたもの。それぞれに越えてはならん川がござる。前者が後者のまねごとをしても許されるが、後者が前者のまねごとをするともう後戻りはできんじゃろうな。

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