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2008年12月24日 (水)

死者に鞭打つことの意義を述べよう

かのう。間違いや悪は、亡くなって後も間違いであり、悪でござる。罪も同じじゃ。亡くなったからというて、それがすべて正しく、善で、贖罪になるということはござらん。それでは、死んだら、美化されるから何をやってもよいではないかと勘違いする輩も出てこよう。それに、人間は、ただでさえ同じ過ちをくり返し、歴史を繰り返しておる。よって、罪や間違いや悪を、その人の死と共に葬り去っては、また同じ罪や間違いや悪を繰り返す。じゃから、死者に対して「こいつはこのようなことをやったろくでもない奴じゃ」と糾弾して、忘れないようにすることこそ、現世に生きる者、そしてこれから生まれてくる者のためになると心得るべきじゃ。死者を必要以上に美化したり、間違いや悪や罪に目を瞑ったところで、何の意味もない。遺族に配慮するという頓馬がおるかもしれんが、遺族にはその者の家族じゃった責任すらござるから、そんな配慮は不要じゃ。生きているときに嗜めたり、叱ったり、諌めたり、戒めたりするべきじゃし、そうできなかった無能という責任がござるからのう。死者が鞭打たれた場合、遺族は、「申し訳ございませんでした」と頭を垂れるしかないということじゃ。暮れになって、説教めいたことをくどくどと記したのう。ま、そういう考えがあってのことじゃ。マスコミが著名人の死に対して、無意味に持ち上げ気味で美化することが多い。反吐が出てくるほどでござる。真実を何も伝えていないマスコミじゃから最初から信用などしておらんが、「死者に鞭打つことはならん」という格好つけたことを吐いて、無意味な建前に、嘘を垂れ流しておるから腹が立つということじゃ。無反省なマスコミへの警鐘じゃな。花山大吉

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