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2008年8月11日 (月)

取材しないで小説は書けない

のでござる。今は、シナ五輪のニュースばかりじゃが、東京五輪の招致で死に花を咲かせたい輩がござる。小説家というものは、並大抵の生まれでなかったり、辛酸を舐めたり、臥薪嘗胆の人生を送ったりした者でなければなかなか書けない。というのは、いろんな人生を書くことが、自分を投影して、感情移入して、取材して、分析して、文章力で読ませて、楽しませなければならないからでござる。かの御仁は、平々凡々と生まれて育って、遊び呆けたことを文章にしてたまたま文学賞を取ったに過ぎないのでござる。国会議員になる前からじゃが、ろくに取材もせずに書いた文章ばかりとなっておる。要するに思い出話を膨らましたということじゃが、弟の影響力が大きく、ネームバリューがあるために、そこそこに売れる本になるわけじゃ。それを文章力やら分析力やら、話の上手さと本人は勘違いしておるようじゃ。三島氏は、天才的な文章力と、丹念な取材力と、鋭い分析力がござった。そして生まれついての叙情性。それでも限界を感じたのかもしれん。日本の限界を感じたのかもしれん。努力を惜しまない方じゃった。それに比べてどうじゃ、あの俗物知事は。面白い話、要するに小説のことじゃが、それは、自分だけの話では限界があるということじゃ。じゃから、面白い話が、自分の才能の中から、脳みその中から、自然と湧いてくると思うているとしたら、それは大きな勘違いじゃ。まあ、勘違いしていないから、政治家になったんじゃろうな。じゃが、いまだに本人は、物書きじゃという風を吹かせておる。笑止。文学賞は、入り口であってゴールではござらん。それを勘違いしてはならんのう。お金になる、面白い文章は、生半可には書けんからのう。花山大吉

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