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2007年9月 4日 (火)

敢えて死者に鞭打とうかのう

わが国日本では、死者に鞭打つことを忌嫌う、だが、それでは、そやつに殺された者達や見殺しにされた者達は、浮かばれまい。死のうが生きようが、悪い奴を悪いというのが侍でござる。瀬島龍三が死んだ。敢えて氏はつけないことにいたす。共同通信の社会部記者らが書いた「沈黙のファイル」という本がある。瀬島の悪振りを暴いた内容でござる。はっきりいって国賊の部類であることがわかる。瀬島はこの本に異を唱えていない。会長だった伊藤忠商事から圧力があったのかしらん。本の後半では、尻すぼみ状態なのがちと残念だが、瀬島を国士だとか、政財界のご意見番というのは、本当の彼を知らぬ者が使う提灯文句でござる。拙者なら「国賊の」あるいは「生き恥晒しの」とつける可能性が高い。伊藤忠商事で何故、社長就任を断り続け、ついに社長にはならなかった。その理由は、とてつもなく巨大な後ろめたいものを背負っており、それを自覚していたからでござる。分を弁えているともいえるが、社長を受けたときには袋叩きに合うことは目に見えているから、それを避けた卑怯者という見方もできる。伊藤忠は当時多くの闇を抱えておったからのう。

悪いが、奴はワルでござる。悪いものは悪い。よって合掌などすまいぞ。英霊は皆天国におられる。瀬島、お主、そこへは行けまいぞ。心して三途の川を渡るがよい。渡り賃は、この世でいやというほど稼いだはずじゃて。花山大吉

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