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2007年8月 6日 (月)

戦争は公共事業でござる

今日は原爆が広島に投下された日でござる。原爆を落とされても仕方がないと語った馬鹿者大臣は首になったが、何故日本に落とされたかは考えてみる必要がござる。毛唐たちにも事情はあったろうが、それだけ、毛唐が恐れた日本人という人種を恐れたということでござる。アジア人の中でも最も畏怖された人種なのでござる。中国人や半島人は、すぐに同胞を裏切るが、日本人同士は武士道を背景とした忠義や潔さを尊び、組織の動きに一糸の乱れもなく行動することができる人種。台湾やビルマ、東南アジアの方々にも通ずるところがあるようでござるが、知的レベルが高く、指先が器用で、無闇に図体がでかくない人種。これほど怖い存在はない。まして当時、原爆は日本国内でも研究されていた。

兵器はすべて産業が生産している。それが新製品であれば、早く使ってみたくなるのが人情。そして、古くなったものや賞味期限(有効期限)が迫っているものは、ストックしているだけで経費がかかるし、廃棄するよりも使ってしまいたいだろう。バーゲンセールでもやろうかと考えてもおかしくない。戦争や危機がなければ、兵器産業は予算がつかないためにアップアップとなる。

そこで予算をつける為に(ある意味、内需拡大)、戦争や紛争を起こすのが毛唐なのでござる。浅ましい輩でござるのう。兵器技術平和利用、民間転用なども一部では行われるが、そんなものはお為ごかし、高が知れておる。何年かに一度、世界の悪者をどこぞに仕立て上げて、叩かねばならないのでござる。そして、完全に叩くことはできないし、しないのでござる。敵対勢力がなくなってしまうと、戦争が必要なくなり、兵器産業が衰退してしまうからでござる。できないというのは、もともと毛唐は、仕事も雑だし、戦争戦略も雑なので、あの宗教の信徒達を完全に叩くことは端から無理なのでござる。それを見透かすように、手痛いしっぺ返しを食らうことになるわけでござる。はっきり言って宗教戦争なのに、「これは宗教戦争ではない」などと戯言をほざくのが毛唐。笑止。

世界の平和のための戦争などはござらんよ。兵器産業や戦争コンサルタントを食わせるために戦争しているわけなので、道路敷設や橋を掛けたりトンネルを掘ったり、箱物を建てたりする公共事業と同じ。ただし、決定的に違うのは、兵器で破壊殺戮した跡には何も生産的なモノは何も残らない点でござる。何か残るとすれば、放射能や生物化学兵器等の汚染、死体や怪我人の山、死者や遺族からの怨嗟でござろうな。

毛唐の兵士は、かの国で14歳の少女をレイプしたそうでござる。その見張りをしていた兵士に禁固110年の刑が言い渡されたそうでござる。主犯格の兵隊の裁判はまだ終わってないらしい。まあ、闇に葬られなかったことは評価できるが、平和のための戦争が聞いて呆れる。原爆を落とされた世界唯一の被爆国の役割や発言力はもっと強くなってよいのに、この60年余り何をやってきたのかのう。戦嫌いの武士達は、いつ立ち上がるのかのう。待ち遠しいのう。花山大吉

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