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2007年5月25日 (金)

無と有の違いでござる

大手広告代理店にいながら作家として活躍したF氏が亡くなった。今飛ぶ鳥を落とす勢いの会員制月刊誌Fの名物編集長A氏の大学時代からの友人とか。A氏のブログにあったが、無から有を作ることはできない、というジャーナリストの苦労を述べたときに、F氏は、無から有を作るのは大変なんだ、と切り返したとか。二つの職業は、似て非なるもの。全く違う位置からスタートしなければならないのだ。前に似たようなことを書いたが、作家は作家でいたほうがよろしい。

週刊経済誌Eや週刊誌Gに連載コラムを持つH氏は、作家とジャーナリストの肩書きを持つ。十年ほど前に、大手月刊誌Bでダイオキシンのことを書いた記事を見たが、彼は、自信がなかったのだろう。あろうことか、原稿やらゲラを全部丸々、取材先の信州の環境問題研究家ににファクスしてきたそうだ。ゲラが真っ赤になるほど、間違いを直して返送したが、出版された雑誌では間違いが全く直っておらず、経団連・鉄連に都合のよい記事になっていた。体制側の雑誌社だから仕方ないが……。ただし、ジャーナリズムにおいて全てのゲラを見せることはありえない。それは闘うことを放棄したことであり、斬りつける刀を相手に渡したことに相当する。

その点から考えても、環境問題研究家に斬りつけていたのか、まずい焼却炉を作る鉄鋼メーカーや環境破壊の元凶である産業界に斬りつけたかったのかも不明だ。経団連や産業界側にもゲラを見せていた可能性は高い。もしそれをやっていたとすれば、それはジャーナリストとして切腹に値する行為だ。広告屋とか止め屋じゃないんだから。自殺する作家は多いけども……。

要するに夢現で、現実と空想の世界を行ったり来たりする人は作家でいるほかない。作家は作家で、ジャーナリストはジャーナリストでしなかく、その両方はありえないのだ。戦ったり斬りつけたりするのがジャーナリスト。読者に夢や希望を与えるのが作家。作家の方が、高いところに立っていると勘違いしている人も多いから困る。さにあらず。逆に斬られて血を流したり、ときには命まで奪われるのがジャーナリスト。いろんなことに悩んだりして、自ら命を絶つのが作家。

この行ったり来たりの中途半端な人が、吉本興業内紛を週刊Gで最初に書いたが、顛末はご覧のとおり。また先のH氏のように、いつのまにか高いところから見下ろして、わけのわからないことを書いたりする。どうしても両方やりたい方は、本文の前に、フィクションかノンフィクションかを明示した上で、読者が混同しないように、ペンネームなどを付けて、名前を変えたほうがよろしい。

無から有を生み出してはならない作業の苦労があり、無から有を生み出さなければならない作業の苦労もある。どちらも否定するものではない。ただし、その両方をやるものは、それだけの覚悟をして日頃から厳しく身を律しなくてはならない。先ごろ亡くなられた城山三郎さんのように。

城山さんは、ジャーナリスト以上の取材を重ねた上で、フィクションやノンフィクションを執筆されたいた作家だ。本当だよ。花山大吉

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